8月20日シンポジウム・パネリスト報告要旨①

加藤静子氏によるパネリスト報告の要旨をご紹介します。

「和歌宰領者としての頼通 ―和歌六人党藤原範永という視座から―」      
 
 頼通二度目の歌書蒐集に関係する「納和歌集等於平等院経蔵記」(惟宗孝言)は、延久三(一〇七一)年九月頼通八十歳の時のもの。「経蔵記」では、狂言綺語も讃仏乗の因、転法輪の縁となる、和歌集等を経堂に納めて歌集中の「貴賤道俗」は自分の願念に牽かれ極楽往生を遂げて欲しい、「適々吾を知るの者あらば、遍く成仏の縁を結ばん」と閉じる。範永・藤原経衡・四条宮下野・橘為仲の家集や十巻本類聚歌合などが納められたという(『後拾遺集前後』)。頼通晩年の歌と人への思い、和歌宰領者としての壮大な総括がうかがえる。
 本報告では、頼通自身の和歌活動を踏まえ和歌宰領者としての側面を照射しつつ、和歌六人党の一人範永から、頼通の和歌文化圏を裾野まで明らかにしたい。六人党は清新な叙景歌を詠み、白楽天に傾倒、院政期和歌に影響を与えたが、彼らは、源師房に庇護され、勅撰集を願って関白頼通とは距離をおいたと指摘されている。しかしながら、範永は、頼通・師実父子に長年にわたり家司として仕え、頼通をはじめ、師房・師実・その他が主催する歌会に参加する。主催者「その他」も、実は頼通文化世界の基層をなす人々で、関白頼通が作りあげた人脈の驚くほどの強固さ広さがある。六人党の他メンバーも、範永同様に頼通と彼が関与する人々の家政機関・中宮職等に属し、和歌活動も頼通文化圏内にある。看過できない受領層歌人たちに光をあてることで、頼通和歌世界の実相を明らかにしたい。