第84回大会要旨

発表要旨

「『紫式部日記』「十一日の暁」の記事における朗詠と『白氏文集』」

                                                  十文字学園女子大学非常勤講師 佐藤有貴

 

 『紫式部日記』「十一日の暁」の記事(以下、当該記事とも)に描かれる「御堂詣で」は、黒川本では寛弘六年と七年の記事の間に位置付けられている。従来、寛弘五年の記事の混入説をはじめ、さまざまな時期が推定されている。明確な史実との照らし合わせが試みられてはいるものの、充分に定着しているとはいえない状況である。

 当該記事前半部には難解な言葉が散見することから、当該記事の背景を容易に推定することは避けたいところである。したがって、本発表では後半部以降の「宮の大夫」(中宮大夫)の朗詠「徐福文成誑誕多し」に注目して論じていく。日記が行事記録に終始することなく、「事果て」た後の様相を記し留めていることからして、後半部にこそ、日記の眼目が内在していると思われるからである。中宮大夫の朗詠が『白氏文集』巻三「海漫漫」に基づくことが古注釈以来、共通して指摘されているが、日記全体を俯瞰しても、漢詩句がそのまま朗詠されるのは珍しい。なぜ、それを容易に想起させる形で中宮大夫の朗詠を記し留めたのか。また、日記中に散見する朗詠は一部の例外はあるものの、基本的にはその場を讃えていこうとする傾向がみられる。果たして、当該記事の朗詠が「をかし」でも「めでたし」でも「おもしろし」でもなく、なぜ「いまめかし」と評されるのか。

 以上のような問題意識から、「十一日の暁」の記事における中宮大夫の描写の意義について改めて問い直してみたい。

 

講演要旨

「三つの後悔~個人的研究史断想~」

                                                       愛知淑徳大学名誉教授 久保朝孝  

                      

 大会講演の依頼をいただいたが、その任に到底堪え得ないことは、誰よりも当人自身が十二分に承知している。とはいえ、重ねての慫慂を拒み切るほどの厚顔さも持ち得ないがために、やむなくお受けすることになった次第。

 そもそも質・量ともにきわめて貧しい研究者としての歩みであったが、それでもその著作の中から特に三作を選び、その生成の過程および周辺状況に関する逸話・裏話などを、(爺)放談風にお話しすることで責めを塞ぎたく思う。

 一つは最初に活字化された「物語研究」第一号掲載論文(一九七九年、紫式部日記)、一つは第九回「日記文学懇話会」での発表をもとにした論文(一九八八年、更級日記)、そしてもう一つは近著に収載した最新の論文(二〇二〇年、紫式部日記)を予定している。

 漫談・妄談に堕す虞なしとしないが、その場合に備えて、あらかじめお赦しを乞うておきたい。