12月18日第82回大会発表要旨

すでにご案内しておりますように、12月18日第82回大会はズームで開催されます。

以下、当日の発表要旨を掲載します(無断転載を禁じます)。

 

発表①『紫式部日記』における女房の敬称

        鷗友学園女子中学高等学校  大野 由貴

 『紫式部日記』には、六十名を超える女房が登場する。作者の同僚である、彰子や道長家に仕える女房が多いが、内裏の女房などの様子も書かれている。女房の登場の仕方はさまざまであり、作者との関わりの深さも異なっている。今まで、『紫式部日記』に登場する女房たちについては、それぞれの人物の描かれ方に着目した研究や、女房の実際の出自等の人物像に迫った研究などがなされてきた。特に、作者がそれぞれの女房にどのような目を向けていたかについては、本文中の表現から考察される機会も多かった。

 本発表では、「君」「おもと」といった女房への敬称を取り上げる。「君」は男性、女性の別にかかわらず広く用いられ、相手を敬って呼び表す呼称である。一方で「おもと」は、『紫式部日記』においてはほぼ女房に限定して用いられる敬称で、辞書類では親愛の意を含みもつ語だと説明されている。敬称は、語る人物(発話者や語り手など)からの敬意を示しており、言葉を発した人物の身分や価値観、考えを読み取る上で重要な指標となる。特に、日記文学作品における地の文の敬語や敬称は、作者自身の身分や他者への意識が大きく関わっていると考えられる。敬称の使われ方の差異を視座として、作者から同僚の女房たちに向けられた意識を考察したい。

 

発表②『源氏物語』における日記と手紙

           ―『紫式部日記』の消息部分を手がかりに―

              奈良教育大学  有馬 義貴

 『紫式部日記』のいわゆる消息部分については、本物の手紙が竄入したものとする見方や、手紙に仮託した方法とする見方などがある。実際にどうであったのかを断定的に述べることは難しいが、いずれにせよ、消息部分がそれ以外の部分と、異質な面を持ちながらも繋がりえているという点は興味深い。同一視できるというものではないが、日記と手紙には、親和性、類縁性などがあるのだろう。

 そのような日記と手紙の関係を意識しながら、『源氏物語』における「旅の御日記」(絵合・三七七頁。本文・頁数は小学館『新編日本古典文学全集』。以下も同様。)に注目してみたい。帝の御前での絵合において披露されたものであるが、「中宮ばかりには見せたてまつるべきものなり」(三七八頁)、「かの須磨、明石の二巻は、思すところありてとりまぜさせたまへりけり」(三八三頁)、「かの浦々の巻は中宮にさぶらはせたまへ」(三九一頁)とあるように、「絵合」巻では、藤壺に見せることへの意識が強調されているようでもある。そこには、日記に仮託した手紙といった趣も感じられよう。

 但し、当然ながら、それは手紙そのものというわけではない。日記と手紙とはいかに相似し、いかに相違しているのか。本発表では、物語中の手紙のありようにも注目しながら、日記と手紙の関係や、それを利用した『源氏物語』の方法などについて考えたい。