第74回大会の要旨➁

更級日記』の〈物語〉ー「見る」「読む」「語る」「聞く」ー
                      大阪府立東住吉高校  山下太郎   
 
 『紫式部日記』が物語作者の日記だとすれば、『更級日記』は、ひとまずは、物語読者の日記である、といえよう。『更級日記』に「夜ふくるまで物語を読みて起きゐたれば」の例がある。この「読む」は、現代の黙読であろうか。他に、「見る」があり「語るを聞く」もある。物語を「語る」ことは、物語の詞あるいは内容を声に出して語ることである。「見る」は、一般には、現代の黙読に近い行為と見なされる。「読む」の原義は、数を一つ一つ数えることだ、という。歌をよむ、あるいは、漢籍をよむ、にしても、声に出すことが付随している。「物語をよむ」にも、声が響いているのではないか。『源氏物語・若菜下』には、「対には、…人々に物語など読ませて聞き給ふ」の例がある。この「読む」は、現代の音読に近い。紫上は女房の読む声を聞く。上総の少女は、「姉、継母などやうの人々」が源氏物語などを「語る」のを聞く。物語は、「見る」ものであり、「読む」ものであり、「語る」ものであり、そして「聞く」ものであった。『更級日記』には、竹芝伝説、富士川の除目伝説など、語られた物語が書きとめられている。さらに、自己の体験見聞を物語として語ろうとする姿勢がある。物語読者の日記は、物語作者の日記、あるいは、「日記物語」(大橋清秀)でもあった。