第69回大会要旨③

紫式部日記絵巻」に見る『紫式部日記』享受の諸相
           ―楽府進講図を中心に―
                                                           川名淳子
 
紫式部日記の本文を詞書にほぼ忠実に取り入れ、日記全体の絵画化を試みた紫式部日記絵巻には、日記が持つリアリズムを尊重する精神と、盤石なる摂関体制が築かれた寛弘期への憧憬の念、そして過去の宮廷社会の隆盛を再現する復古の姿勢を見て取ることができる。絵巻制作の主眼は皇子誕生にまつわる盛儀にあるが、記録性や規範性を重んじた行事絵ではなく、王朝以来の物語絵の手法を継承したことで、本絵巻には、描かれた人物たちの息吹や躍動感も表出されている。院政期の源氏物語絵巻が醸し出すような優艶さや情趣は乏しいものの、その画面には鎌倉初期の、物語絵画への新しい感覚が反映されている。
  本発表は、前稿「紫式部日記紫式部日記絵巻―〈( ためし)〉としての絵画化と日記の物語絵化」(『紫式部日記の新研究』新典社所収)に続き、本絵巻を紫式部日記の読みの転換期となる十三世紀前半の当日記の享受の様相を伝える作品として捉え、絵巻の分析を経由することによって、翻って原典の読解へと繋がる新たな視点を模索するものである。紫式部日記の中から、絵という〈かたち〉に結実する叙述がどのように抽出され、定位されていったのかを辿ることは、自ずと日記本体に内在する様々な解釈の方向性を炙り出すことになる。現存する24画面のうち9図に〈紫式部〉であろう人物が描出されているが、この度は式部の姿が最もクローズアップされた楽府進講図を中心に取り上げる。そこには、源氏物語にまつわる記事や紫式部の存在を注意深く排除した栄華物語「はつはな」の歴史観とはまた異なる、絵巻制作の時代の紫式部日記へのまなざしがうかがわれるのである。