第84回大会のお知らせ

第84回 日記文学会大会

オンライン同時配信を予定しております。

会員外の方も来聴・オンラインともに参加可能です。

12月21日(木)までに、事務局までメールでお知らせください。

オンラインの場合は、ズームurlをお送りします。

wnikkijimu@gmail.com

佐藤有貴氏による『紫式部日記』最新の研究発表、さらに日記文学研究に大きな足跡を残して来られた久保朝孝氏による待望の講演を予定しております。

 

日  時:令和5年12月23日(土)14:00~17:45(予定)

場  所:早稲田大学早稲田キャンパス14号館604教室

     (本サイトの下部に地図ページあり)

大会次第:(時間進行はあくまでも目安で変更の可能性があります)

14:00~14:05      開会の辞

14:05~14:35   研究発表

「『紫式部日記』「十一日の暁」の記事における朗詠と『白氏文集』」

                    十文字学園女子大学非常勤講師 佐藤有貴

14:35~15:00   質疑応答

15:00~15:20   休憩

15:20~17:00      講演

「三つの後悔~個人的研究史断想~」

                        愛知淑徳大学名誉教授 久保朝孝

17:10~17:40    総会

17:40~17:45    閉会の辞

     

 

第84回大会要旨

発表要旨

「『紫式部日記』「十一日の暁」の記事における朗詠と『白氏文集』」

                                                  十文字学園女子大学非常勤講師 佐藤有貴

 

 『紫式部日記』「十一日の暁」の記事(以下、当該記事とも)に描かれる「御堂詣で」は、黒川本では寛弘六年と七年の記事の間に位置付けられている。従来、寛弘五年の記事の混入説をはじめ、さまざまな時期が推定されている。明確な史実との照らし合わせが試みられてはいるものの、充分に定着しているとはいえない状況である。

 当該記事前半部には難解な言葉が散見することから、当該記事の背景を容易に推定することは避けたいところである。したがって、本発表では後半部以降の「宮の大夫」(中宮大夫)の朗詠「徐福文成誑誕多し」に注目して論じていく。日記が行事記録に終始することなく、「事果て」た後の様相を記し留めていることからして、後半部にこそ、日記の眼目が内在していると思われるからである。中宮大夫の朗詠が『白氏文集』巻三「海漫漫」に基づくことが古注釈以来、共通して指摘されているが、日記全体を俯瞰しても、漢詩句がそのまま朗詠されるのは珍しい。なぜ、それを容易に想起させる形で中宮大夫の朗詠を記し留めたのか。また、日記中に散見する朗詠は一部の例外はあるものの、基本的にはその場を讃えていこうとする傾向がみられる。果たして、当該記事の朗詠が「をかし」でも「めでたし」でも「おもしろし」でもなく、なぜ「いまめかし」と評されるのか。

 以上のような問題意識から、「十一日の暁」の記事における中宮大夫の描写の意義について改めて問い直してみたい。

 

講演要旨

「三つの後悔~個人的研究史断想~」

                                                       愛知淑徳大学名誉教授 久保朝孝  

                      

 大会講演の依頼をいただいたが、その任に到底堪え得ないことは、誰よりも当人自身が十二分に承知している。とはいえ、重ねての慫慂を拒み切るほどの厚顔さも持ち得ないがために、やむなくお受けすることになった次第。

 そもそも質・量ともにきわめて貧しい研究者としての歩みであったが、それでもその著作の中から特に三作を選び、その生成の過程および周辺状況に関する逸話・裏話などを、(爺)放談風にお話しすることで責めを塞ぎたく思う。

 一つは最初に活字化された「物語研究」第一号掲載論文(一九七九年、紫式部日記)、一つは第九回「日記文学懇話会」での発表をもとにした論文(一九八八年、更級日記)、そしてもう一つは近著に収載した最新の論文(二〇二〇年、紫式部日記)を予定している。

 漫談・妄談に堕す虞なしとしないが、その場合に備えて、あらかじめお赦しを乞うておきたい。

会員のみなさまへ

日記文学会第84回大会開催案内

 

第84回大会を下記の要領にて開催いたします。今回も対面(+同時配信)で開催する

予定です。勝手ながら、いくつかお願いがございますので、お読みください。

 

               記

 

日  時:令和5年12月23日(土)14:00~17:45(予定)

場  所:早稲田大学早稲田キャンパス14号館604教室(前回と同じ会場です)

     委員の方は13時にご参集ください。

日記文学会ブログ(検索サイトで日記文学会ブログと入れて検索してください)

早稲田キャンパス内のマップを載せてあります。

※ オンラインでご参加予定の会員の方には、前日の午前中までに事務局までメールで

お知らせください。折り返し、ズームのURLをお知らせします。また当日参加の

会員のみなさまには、事務局の業務軽減のため、恐縮ですが、大会当日の会費の受付などは一切行いません。なお、資料の準備の関係上、ご参加いただける会員のみなさまには事前にメールで出席のご連絡をいただけると助かります。また今回は終了後、懇親の場を持ちたいと考えております。ご出席可能な方は事前にだいたいの人数を把握したいと思いますので、勝手ながら12月11日(月)までにメールでご連絡ください。

メールアドレス wnikkijimu@gmail.com

  • 会員外で、お近くに参加希望の方がいらしたら、事務局までご連絡ください。オンライン参加の場合は、ズームのURLをお送りします。
  • 当日、急にズーム参加に変更したい、あるいは会場がわからないなど、ご要望・ご質問がありましたら、ご遠慮なく下記のメールまでご連絡ください。

メールアドレス fukuya@waseda.jp

 

大会次第:(時間進行はあくまでも目安で変更の可能性があります)

13:00~13:30   運営委員会

14:00~14:05      開会の辞

14:05~14:35   研究発表

「『紫式部日記』「十一日の暁」の記事における朗詠と『白氏文集』」

       十文字学園女子大学非常勤講師 佐藤有貴

14:35~15:00   質疑応答

15:00~15:20   休憩

15:20~17:00        講演

「三つの後悔~個人的研究史断想~」

                    愛知淑徳大学名誉教授 久保朝孝

17:10~17:40    総会

17:40~17:45    閉会の辞

第83回大会要旨

【題名】『紫式部集』八六番歌八七番歌の紫式部の心意と「物や思ふ」と問うてきた人  

 物をめぐって                          田嶋 知子

 

 『紫式部集』(陽明文庫本)の配列は、77番歌から続く敦成親王産養儀賀歌群が80番歌で終わり、81番歌からは一転して式部の私生活歌が連なる。本発表で問題とする86、87番歌もこの私生活歌の括りに入るわけであるが、86番歌を詠作した式部の心の位置を捉えるために、それ以前に連なる81番歌から85番歌までの紫式部の心の様相を確認していく。その際に、『紫式部日記』里居の記述に言及する。更に、平安勅撰和歌集、『源氏物語』の「なでしこ」「とこなつ」の使用例を確認した上で、諸注も指摘する『源氏物語』(「帚木」巻)と86番歌を比較検討する。また、86番歌と87番歌の関連における連動について言及し、「わづらふことあるころなりけり」は、87番歌の左注の役割でもあり、88番歌の歌意にも関わる詞書の役割としても記された一文であったことを述べた上で、86番歌の式部も87番歌同様、病気であったことを指摘し、その観念的な心を考察する。87番歌は「物や思ふ」と式部に問うてきた人物が宣孝であった可能性について言及する。それには、詞書の「人の問ひたまへる」という敬語の使用が問題となるが、家集から宣孝の人物像を考察し、更には、『源氏物語』の皮肉的な敬語の使用例との検討により人物特定に少しでも繋がればと思う。また小塩豊美氏が、紫式部が『賀茂保憲女集』を披見していた可能性について述べておられる。小塩氏のご論を踏まえながら本発表では、「枯れ行く」「葉わけの露」に言及し、人を招くとされる「花すすき」との関係を論じ、87番歌の式部の心象風景を論じていきたいと思う。

 

【題名】『和泉式部日記』冒頭部分の一考察―橘の含意・伊勢物語第六十段・なぜ    

     「香」より「声」か―       早稲田大学高等学院  松島 毅

 

 本発表では、『和泉式部日記』冒頭部分―帥宮から橘の枝が届けられ、それに触発されて主人公「女」が最初の歌「薫る香によそふるよりは時鳥聞かばや同じ声やしたると」を詠むくだり―を考察する。「薫る香に」歌は、かつては「女」の歌に帥宮敦道親王)に対する誘惑が読み取れる歌だとされ、故宮(為尊親王)死に対する悲嘆との不調和や、実在の和泉式部に根強い多情のイメージとの関連もあり、研究史以来、多くの論争が重ねられてきた。九〇年代後半、「薫る香に」歌については、和歌史の知見をもとに再検討が行われ、解釈に大きな修正が加えられているが、その一方、歌の契機となる、帥宮から「女」に贈られた橘の枝の含意や、「女」が思わず発する「昔の人の」の引歌にどのような感情が表現されていたかについては、あまり突き詰められてこなかったのではないだろうか。さらにいえば、なぜ「女」が「香」よりも「声」を望むのかという点には、さほど説得的な説明がなされていない。本発表ではこの課題に取り組む。具体的には、引歌の本歌である「五月待つ花橘の香をかげは昔の人の袖の香ぞする」の歌意を洗いなおすこと、次いでこの「五月待つ」歌を核として構成される『伊勢物語』第六十段との関係を検討することを通して、最終的に冒頭の場面がどのようなやり取りとして描かれているのかを考えたい。これまでも多くの考察が重ねられた問題であるが、少しでも新たな角度から光を当てられればと思う。