『花園天皇宸記』における歌論
中央大学 小野泰央
『花園天皇宸記』正中二年(一三二五)十二月二十八日の条と元弘二年(一三三二)三月二十四日の条には、花園院の歌論が示され、その主眼は「雅正之道」を標榜することであった。同様のことは、同所に言及されている『文筆眼心抄』(『文鏡秘府論』)や『詩人玉屑』における詩論と、『為兼卿和歌抄』における歌論にも確認することができる。
『為兼卿和歌抄』には、その「雅正」と関連づけて、「景物につきて志をあらはさむにも、心をとめ、深く思ひ入る」として、景物に向かって志を示すことを論じるが、そのことも、『文鏡秘府論』「南」「論文意〈文意を論ず〉」に「置意作詩、即須凝心目撃其物〈意を置きて詩を作るには、即ち心を凝らして其の物を目撃すべし〉」とあり、『詩人玉屑』「詩法」「白石詩説」にも「体物不欲寒乞、一意中有景、景中有意〈物に体すること寒乞ならんことを欲せず、一意の中に景有り、景の中に意有り〉」とある。花園院が賦した『風雅集』漢序に『詩人玉屑』と同様の理論が示されていることは、さらにその関係を敷衍するものであった。
『花園天皇宸記』にはまた伏見院や花園院本人の御幸が頻繁に記録され、その御幸には四季の景物に感じて突発的に起こる場合があって、さらにそこに詩歌の会が行われたことが示されていることは、『為兼卿和歌抄』などの歌論に基づいて、実際に景物に接しながら作詩詠歌が行われていたことを示している。『花園天皇宸記』は、当時の有職だけではなく、京極派の歌論とその体現を記録する場でもあった。
