8月20日シンポジウム・パネリスト報告要旨②

高橋由記氏によるパネリスト報告の要旨をご紹介します。

「頼通時代の後宮文化 ─『四条宮下野集』とその周辺─」          
 
 後冷泉天皇の皇后寛子は、関白頼通四十五歳のときに生まれた実子で、唯一の女子である。隆姫女王所生ではないためか入内以前の寛子の動静は知れないが、永承五年(一〇五〇)の入内および翌年の立后に関して、『栄花物語』巻三十六「根あはせ」は「殿のかく御心に入れさせたまへること」「女房の装束など、いひつくすべき方なし。」「靡かぬ草木はいかでかあらん。」と記す。関白頼通の全面的な後見のもと、入内以後の寛子は非常に華やかな後宮生活を送ったと思われる。
 その寛子の後宮生活・後宮文化の一端を垣間見せる資料が『四条宮下野集』(以下、『下野集』)である。『下野集』の世界は『枕草子』に似ているといわれる一方、『下野集』には寛子本人の登場やことばは多くはなく、詠歌もない。そのため、寛子の印象は薄く、『枕草子』にみる中宮定子のような圧倒的な存在感はないように思える。しかし『下野集』には少ないながら寛子の言動が記されており、文化圏の女あるじとしての寛子の姿をみることができる。本発表では、後宮での文化生活を活写したことでは共通する『枕草子』からの影響あるいは世界観の連続と、一条朝とは異なる頼通時代の後宮文化のありようの両面を『下野集』から考えたい。