8月20日シンポジウムの趣旨です。

8月20日(土)シンポジウム「藤原頼通の時代と文化世界」の趣旨文をご紹介します。今回のシンポジウムを統括する、司会の横溝博氏が作成したものです。

更級日記』の作者・菅原孝標女は、藤原頼通の時代を生きた人でした。藤原道長の息・頼通の時代は、後一条・後朱雀・後冷泉天皇と続く、三代・五十一年にわたる長期政権のもと、数々の文化活動が展開された時代でした。とりわけ後冷泉天皇の時代には、皇后寛子・中宮章子内親王・女御歓子を戴く内裏後宮を始め、斎宮・斎院や宮家などにおいて数多の文化活動が営まれ、活況を呈しました。
 和歌においては勅撰集こそ編まれませんでしたが、『栄花物語』に見られるように、内裏歌合が再興され、高陽院水閣歌合や皇后寛子春秋歌合などの晴儀歌合から私的歌合に至るまで、大小様々な歌合が開催されたことは、『廿巻本類聚歌合』に記録されているところです。相模や能因が歌壇を主導する中、伊勢大輔・出羽弁・橘為仲康資王母・小弁・藤原頼宗源経信といった歌人らが活躍したのもこの時期です。藤原範永を始めとする和歌六人党の革新的な作歌活動も注目されます。『四条宮下野集』『出羽弁集』には、時に『枕草子』的とも言われるような女房と男性官人との歌による密接な交流が窺えます。一方、物語文学に目を転じれば、六条斎院禖子内親王の「物語合」の開催に見られるように、新しい物語が競作されました。『狭衣物語』には和歌と散文が融合した当代一流の表現が見られます。『更級日記』はそうした時代に書かれた日記でした。これら貴族社会における文化活動の多くが、文芸に理解のある頼通によって牽引され、領導されたのです。頼通の時代はまさに王朝文化の爛熟期であり、頼通の時代を考察することは、広く平安時代の文化文芸を考えることにもつながると言えましょう。
 今回のシンポジウムでは、頼通の時代を概観するとともに、同時代の文学テクストから見えてくる様々な文化現象に着目することで、「頼通の時代を考えるとは何か」をめぐって、問題意識を共有していくことを目指します。歴史、文化、宗教、建築、美術、等々、様々な領域から注目されている中、文学研究の側から何を明らかにしていくのか、問いかけていきます。