第74回大会の要旨➁
『更級日記』の〈物語〉ー「見る」「読む」「語る」「聞く」ー
大阪府立東住吉高校 山下太郎
第74回大会の要旨①
第74回大会の発表要旨をご紹介します。まず最初の発表から。
『更級日記』作品中の、男車の主と作者との短連歌「花見に行くと君を見るかな」「千ぐさなる心ならひに秋の野の」の贈答が太秦参詣の途次に行われている意味については、従来触れられることがなかった。しかし、当該記事の季節や場所が、「八月」「一条より詣づる道」に設定されていることに注目すると、二つの記事の関連性が見えてくる。
八月、つまり「秋の花見」は、嵯峨野での花見を指すことがある。また、作者が男車と出会ったのが「一条より詣づる道」であったことについて、従来は作者の居住地との関係から理解されてきた。しかし、作中に通りの名が記される例は少なく、本文の読みの面からも考察が必要であろう。平安時代後期には、一条大路末から西へ向かう道が嵯峨野や広沢池への道として整備されていた。一条大路から嵯峨野へ花見に行こうとしていた男車の主は、同じく一条大路を西へ向かう作者を見て、作者も嵯峨野へ向かっていると考えたのではないか。当該記事における「一条」という通りの名は、嵯峨野の花見のイメージを喚起する仕掛けとなっていると考えられる。当該記事は、作者が一条大路を太秦に向かって西行していることを契機として、連想的に嵯峨野に花見に行く貴人のイメージが引き出される記され方となっているのではないか。
本発表では、従来注目されることの少なかった短連歌の記事に着目し、当該記事と太秦参籠記事との嵯峨野を介した連想性について考察したい。8月25日(土)第74回大会のお知らせ
会員の皆様には一昨日お知らせを発送いたしましたが、8月25日(土)に第74回大会を開催いたします。
2018男女共同参画フォーラム・講演会のお知らせ
「女性の日記から学ぶ会」の会員大野るみ氏から講演会の情報提供をいただきました。お知らせいたします。ご関心がある方はぜひご参加ください。
「女性の日記から学ぶ会」より 島利栄子代表をお招きして、 一般人の日記の社会的意義を、 実物を見ながら学びます。 生活者の視点から 歴史を見直してみませんか?
日時: 2018年6月24日(日) 13:30~15:30
会場: 男女共同参画推進センター (パルシティ江東内)
3階 第1研修室 (こども同伴不可) 募集人数:15名
講師: 島 利栄子 氏 (女性の日記から学ぶ会 代表)
5月7日(月)より申込受付開始 (先着順)
保育あり 要予約【対象:幼児(1歳6ヵ月~就学前)】
保育料 無料。(先着順受付)
保育ご希望の方は6月10日(日)までに
男女共同参画推進センターへお申し込み下さい。
企画: 江東の女性史研究会
主催: 2018男女共同参画フォーラム実行委員会
協力: 男女共同参画活動団体
【お申込み・お問合せ】
江東区扇橋3-22-2 電話03-5683-0341
(第2・4月曜休館 受付時間 9時~21時)
講師からのご挨拶
聞き書きの取材先でお年寄りから「高齢になったので戦時中に書いた日記を
処分したい」と相談を受けたのをきっかけに、庶民の原資料を捨ててはならないと思い立ち、1996年に「女性の日記から学ぶ会」を創立しました。現在、会員は210名+応援団30名、提供頂いた資料は4,000点と成長してまいりました。
活動目標は「現存する女性の日記をはじめとする庶民の資料の調査・収集
・保存、及び有効な活用を通して、人々の暮らし・文化・意識のありようなどを
探り、次代に譲り渡していくことを目的とする」です。
「シャルレ女性奨励賞」「NHK放送協力賞」「第五回水木十五堂賞」なども
受賞し高い評価を頂いています。
フォーラムでは、戦時下の日記、農業日記、女性一代の日記、絵日記等
多岐にわたる種類の中から、代表的なものを10冊ほどご紹介する予定です。
なお、当日のチラシのデータなどを頂戴していますので、より詳細な情報をご希望の会員はメールで事務局までお問い合わせください。
第73回大会要旨②
今回は渡邊久壽氏にご講演を依頼しました。
日記文学性の生成 ―『蜻蛉日記』をひもときながら―
山梨英和大学(非) 渡邊 久壽
本テーマを「日記文学の生成」にしなかったのは、日記文学的性格の生成に特化するためである。あるいは「日記文学の生成」に包摂されてしまう内容でもあろうが、事実の記録としての「日記」と、それを越える「日記文学」のあり様の相違の、もう一つ先にある課題に関心を絞って一緒に考えていただきたいと思ったからである。
「日記」との相違は、日次記でなくまとめて書いてあり体験の直接記録ではないこと、虚構がありうること、文学としての主題を持つこと、おおよそこの三点であり、木村正中氏などがまとめられ、基本線に踏襲されてきた。
ただその先に、例えば、まとめて書くと何が起こるのか、体験を踏まえたり素材としながらも直接記録ではない表現はどう化学変化するのか、虚構といっても当初からそれに依拠して文学性を保証されている物語の虚構性と、日記文学の虚構性の相違をどう考えていけばいいのか、文学としての主題といっても執筆目的や意図・目論見・狙いといった観点からは捉え難い日記文学固有の主題の立ち現れ方をどう理解するか等々、柔らかく考えていかなければならないことが多々ある。
今回は、『蜻蛉日記』始発部数年の記事を通時的に辿ることで、文学精神の発現する個々の表現に着目、日記文学性が生成される現場に立ち会い、日記文学の魅力を呼び戻していく。