8月29日(土)日記文学会シンポジウム要旨 その2
パネラー報告
谷知子氏
『建礼門院右京大夫集』には、三五九首の和歌(九州大学図書館蔵細川文庫本による)が収められている。長い詞書を持つ和歌もあれば、七夕歌群と呼ばれる和歌もある。報告者は以前、全歌の注釈を行ったことがあり(和歌文学大系『式子内親王集 建礼門院右京大夫集 俊成卿女集 艶詞』明治書院)、また、和歌について『源氏物語』の強い影響があることについて、指摘を行った(『中世和歌とその時代』笠間書院)。今回の報告では、「なにとなくよみし歌の中に、春立つ日」から始まる、いわゆる題詠歌群(一四~五三番)を丁寧に読み、検討してみたい。歌題を題詠史の中で位置づけ、詠まれた和歌にも改めて検討を加え、歌人としての右京大夫像をかたどってみたいと考えている。
今関敏子氏
いわゆる日記文学と呼ばれる作品の現存数は、中古より中世の方が多い。また、その質も時代とともに変容していく。そして、南北朝期の『竹むきが記』を最後に女性が自己を語ることは途絶え、文学史上、女性作者の空白期を迎える。
『建礼門院右京大夫集』は『たまきはる』に並び、中世初頭の作品である。いわゆる平家文化圏の作品であり、両者には共通項もあるが、その視点と作品の素材、表現の質はおおいに異なる。そして、どちらも日記文学に分類される。
『建礼門院右京大夫集』(以下、『右京大夫集』と略す)が『伊勢物語』四段の〈昔〉と〈今〉の落差の影響を大きく蒙っているのは、恋人資盛の死に表象される平家一門の動向と関係があると同時に、東国章段において語られた〈さすらい〉も資盛の西国流浪と関係があろう。一方、『源氏物語』との関わりも、例えば、右京大夫をめぐる資盛と隆信の三角関係の記述は、夕霧をめぐる雲居雁と落葉宮の三角関係や浮舟をめぐる匂宮と薫のそれが大きく影響を及ぼしていると考えられる。
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