第73回大会要旨②
山梨英和大学(非) 渡邊 久壽
「日記」との相違は、日次記でなくまとめて書いてあり体験の直接記録ではないこと、虚構がありうること、文学としての主題を持つこと、おおよそこの三点であり、木村正中氏などがまとめられ、基本線に踏襲されてきた。
ただその先に、例えば、まとめて書くと何が起こるのか、体験を踏まえたり素材としながらも直接記録ではない表現はどう化学変化するのか、虚構といっても当初からそれに依拠して文学性を保証されている物語の虚構性と、日記文学の虚構性の相違をどう考えていけばいいのか、文学としての主題といっても執筆目的や意図・目論見・狙いといった観点からは捉え難い日記文学固有の主題の立ち現れ方をどう理解するか等々、柔らかく考えていかなければならないことが多々ある。
今回は、『蜻蛉日記』始発部数年の記事を通時的に辿ることで、文学精神の発現する個々の表現に着目、日記文学性が生成される現場に立ち会い、日記文学の魅力を呼び戻していく。
第73回大会要旨①
國學院大學北海道短期大学部 渡辺 開紀
『和泉式部日記』の序盤の記事に、帥宮が主人公「女」への二日目の訪問を躊躇する場面がある。ためらう理由の一つを、作品は「故宮のはてまでそしられさせ給ひしも、これによりてぞかし、とおぼしつゝむも」(三条西家本)と語っており、「兄宮がなくなる際までとやかく人においわれになった」(全講)という理解が概ね通説であろう。
ところで、当作品の有力異本の一つである応永本『和泉式部物語』は、この箇所を「こ宮の御はてまてはいたうそしられしとつゝむも」(京大本)としている。「御はて」は、一般に「一周忌」を意味することが多く、その場合、先に挙げた通行の解釈とは齟齬が生じる。加えて、文脈の含意も、故宮への弔意ゆえに時期を区切って行動を自重する帥宮の心理が語られていることとなり、故宮を反面教師に見立てて逃げを打つ姿を看取する従来の解釈とは、大きく径庭を置くものだったに違いない。
当作品の見所の一つに、主人公との交流を通して、帥宮の人物像がいかに変容していくかという点があるが、当該記事はその起点における性格づけを象徴する箇所であり、上述の相違は単に些細な本文異動では済ませられない意味を持つ。
応永本は『和泉式部物語』なる題号をも踏まえ、三条西家本よりも「物語的」であることが説かれ、昨今ではその点を標榜する向きも現れた。今回の問題が、そうした見方の理非を検討する一助になればよいと思っている。